「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[コンサ]★J1第2節 ×サンフレッチェ広島 +もみじ饅頭

 いよいよ始まりました、サッカーJ1リーグ。開幕戦は、清水エスパルスにドローでしたが、まだまだこれからですよね! 第2節は2月26日(土)で本拠地、札幌ドームにサンフレッチェ広島を迎えます。ホーム開幕戦なので、盛り上がります! 部長は観戦自粛しますが、ぜひ勝ってほしい! そこで今回の「勝利をいただきます!」のコーナーでは、広島名物「もみじ饅頭」をお取り寄せしました。

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(部長は最近、和菓子が好き。もみじ饅頭、美味しいよね~)

 部長は7年前に、広島を訪問したことがあります(残念ながら、サッカー観戦ではありません)。広島原爆追悼集会(広島平和祈念式典)に家族で参加し、その足で宮島の厳島神社と弥山に立ち寄りました。気温が31℃で、うちの息子が熱中症気味になったのを思い出します(北海道民は高温多湿に弱いのです)。厳島神社までの参詣道で売っていた「揚げもみじ」(もみじ饅頭を揚げたもの)最高に美味しかったな-。もしまた広島に行くことがあったら、絶対に食べたいです。

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(もみじ饅頭って、いろいろあるけど、やっぱりこし餡が美味しいな)

 「もみじ饅頭」は、コントで有名だったけど、その歴史も古いんです。もみじ饅頭の発案者は明治後期、宮島(厳島)に在住していた高津常助とされています。宮島の名所・紅葉谷の旅館「岩惣」(現在も営業を続けています)にはその頃、皇太子であった後の大正天皇大韓帝国皇太子(のちの純宗)、伊藤博文夏目漱石らが顧客だったそうです。この「岩惣」に和菓子を納入していた高津常助は、宿の女将・栄子から「大切なお客への手土産に、紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され、試行錯誤の末に1906年(明治39年)完成にこぎつけたそうです。なお、この「もみじ饅頭」という名称には、伊藤博文が関わっていたという説が残っており(老舗のやまだ屋:もみじ饅頭の由来や、宮島観光協会:もみじ饅頭を参照のこと)、微笑ましいエピソードなのですが、実際にそのようなことがあったという記録はないそうです。

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(7年前に宮島に行ったときに食べた「揚げもみじ」美味かったな-)

 「もみじ饅頭」の商標は、元々(現在は宮島口にある)「高津堂」が所有していましたが、のちに商標権を手放したため、いまでは「元祖」を名乗る店が乱立している状況です。宮島にある業者では明治末期創業の「岩村もみじ屋」が最も古く、1925年(大正15年)には「藤い屋」、1932年(昭和7年)には「やまだ屋」が創業しています。1953年(昭和28年)創業の「にしき堂」はやや後発でした。

 はじめはこし餡のみのもみじ饅頭でしたが、1934年(昭和9年)高松宮宣仁親王が宮島を訪れた際に「つぶあんはないのか」と仰ったのを契機に、昭和初期につぶ餡入りも考案されたそうです。歴史を振り返りながら食べると、味わいも深みを感じますねぇ。

 

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サンフレッチェ広島から、勝利をいただきます!)

 さあ、これで「もみじ饅頭」もしっかりいただきましたので、北海道コンサドーレ札幌の勝利も間違いなし!「サンフレッチェ広島から、勝利をいただきます!」 頑張れ、北海道コンサドーレ札幌!!

あしたはきょうよりもっといい日。