「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[シルクロード]★河西回廊 西安とシルクロード石窟寺院 7日目 (009)

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(「「観るだけ美術部」部長のシルクロードキャラバン(妄想編)」の予定ルート)

 この日は午前中に、涅槃仏で有名な大仏寺を見学した後、七彩山に向かいます。きょうも強行軍です。体調維持を第一に、元気に観光しましょう!

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(大仏寺の大仏殿。大仏殿の後ろに仏塔が見えます)

 なんとこの大仏寺は、マルコ・ポーロ『東方見聞録』にも記載が残っています。「偶像教の寺院・僧院の数も多く、そこには例のごとく無数の偶像が安置されている。これら偶像の中には、実際には10ベースにも及ぶ巨大なものがあり、その素材も木あり粘土あり岩石ありといった多様さがあるが、一様に塗金されて、細工もなかなか優れている。巨像は横臥の姿勢を取り、その周囲には、うやうやしくこれにかしずいている多数の肖像が取り巻いている」と書かれています。

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(有名な涅槃像。左下に歩いている人が見えますね。仏像の大きさがわかります)

 大仏寺の創建は1098年と推定されています。始めは「迦葉如来寺」と呼ばれていたようです。元代には十字寺、明代には宝覚寺と呼ばれ、清代に勅命によって「宏仁寺」となりました。現在では、普通に「大仏寺」と呼ばれています。マルコ・ポーロが観た仏像を、数百年の時を経て、いま自分が同じ光景を見ているということに、素直に感動しました。

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(張掖市を離れ、七彩山に向かいます。中国のグランドキャニオンの異名も)

  七彩山は、正式名称を「張掖七彩丹霞(ちょうえきしちさいたんか)」と言います。「張掖丹霞地貌」と言うことも。張掖市街から50kmほど離れた場所にあります。

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(赤い堆積岩で形成された美しい縞模様の地層です)

 七彩山は、赤い堆積岩で形成された美しい縞模様が見られる広大な丹霞地形です。ちなみに「丹」とは赤色・朱色の意味で、「霞」とは夕焼けなどで空が紅色に染まる現象、または雲が鮮やかな色に染まる「彩雲」のことを表します。

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(夕焼けに映える「七彩山」は、本当に見事な風景です)

 この縞模様に夕陽に赤く染まると、それはそれは絶景で、まるで自分が異空間にいるよう。中国のグランドキャニオンと言われるのも、わかるような気がします。

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(多彩な形にうねる地層が、沈む夕陽と相まって、見事な絶景となります)

 七彩山は、多彩にうねる地層が見事な赤色のグラデーションを生み出し、沈みゆく夕陽が大地に陰影を描きます。太古の昔、それこそシルクロードの時代から変わらない風景なのでしょう。

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(酒泉市の起源ともなった湧水。水が青すぎるのが気になる)

 さて、河西回廊に戻り、次の酒泉市に向かいます。酒泉市は、1000年以上にわたって河西回廊の中心地として、交易の要衝として栄えてきた街です。町の名称は、お酒好きな観光客にはたまらない?ような魅力ある名前ですが、由来は漢代の故事にまで遡ります。前漢武帝の時代、名将軍の霍去病(かくきょへい)がこの地に至り、匈奴を討って勝利をおさめました。その知らせを喜んだ武帝は、霍去病に褒美として美酒を贈ります。ただ、全軍に分けるには、もちろんお酒は足りません。そこで霍去病は、兵士たちに平等にお酒を分け与えようと、泉にお酒を注いだそうです。するとあら不思議、泉の水はお酒に変わり、尽きることは無かったと言うことです。まあ、伝説ですね。しかし、その謂れのある湧水は現在も残っており、町の名勝となっています。

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(酒泉市の名産と言えば「夜光杯」です。シルクロードらしい名産品です)

 酒泉市の特産と言えば「夜光杯」です。夜光杯は、もともとはタクラマカン砂漠のオアシス都市・ホータンで産出された「玉」で作られた杯のことで、古くは、東方朔『海内十洲記』の中に記載が見られることから、西周時代にはすでに知られていたことがわかっています(紀元前900年ごろ)。「夜光杯」の文様は、天然に形成されたものであり、夜、杯にお酒を満たして、月光の下でそれを透かすと杯に光が当たることから「夜光杯」と呼ばれるようになりました。「夜光杯」が広く人々に知られるようになったのは、唐代に活躍した王翰(おうかん)の「涼州詞」によるところが大きいです。「涼州詞」は、シルクロードのロマンを感じさせる名詩です(『唐詩選』より)。

あしたはきょうよりもっといい日。