「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[街並み][旅グルメ]★アンパン道路(札幌市豊平区)、月寒あんぱん

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(「アンパン道路」記念碑。道路のほぼ中間地点付近に埋設されています)

★アンパン道路(札幌市豊平区)

 札幌市内の国道36号線から453号線に渡って、住宅街を通り抜ける道路があります。その名も「アンパン道路」。「観るだけ美術部」部長は、以前から気になっていたこの道路を、2020年4月20日(月)奥さんの病院送迎の合間に訪れることにしました。

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(「アンパン道路」月寒側の基点。左右の標柱に「アンパン道路」の文字)

 「アンパン道路」は国道36号線月寒中央通7丁目から453号線沿いの平岸小学校前までを結ぶ全長2.6㎞の道路です。坂を下り上がり、住宅街の中を曲がりくねるこの道路がつくられたのは明治44年(1911年)のことでした。

 明治43年(1910年)つきさっぷ村、豊平村、平岸村の合併により、豊平にあった役場が月寒に移転。平岸側の住人が役場に行くには大変不便な状況となり、当時の豊平町長であった吉原兵次郎が町議会に道路の新設を要望したのだそうです。ところが、予算的に厳しかったため、その頃、駐留していた陸軍第7師団歩兵第25連隊に吉原町長がお願いしたところ、なんと無料奉仕で工事を手伝ってくれることになったのでした。

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(「月寒あんぱん」元祖「創業明治39年」の文字が誇らしげです)

 工事に従事する兵隊さんに何かお礼を・・ということで配られたのが、地元で作られたあんぱんです。

 戦前、月寒にはあんぱんを作る店が7軒ほどありました。吉原町長が町で集めた300円をもとに、あんぱんを兵隊さんに配るために買いたいと申し出があり、それらのお店が協力し兵隊さん1人に1日5個、配られたのだそうです。

 現在も1軒だけ「月寒あんぱん」を作り続けているお店があります。「月寒あんぱん本舗 株式会社ほんま」です。戦時中、休業を余儀なくされた7軒のうち、再開したのがこちらのお店だけだったとのこと。長い年月をくぐり抜け、昔ながらの味を今も届けてくれています。この2.6㎞の道路は、地域住民と陸軍第7師団歩兵第25連隊が協力し合い、わずか4ヵ月でつくりあげられたと言います。あんぱんが大きな力となったのでしょうか。

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(「アンパン道路」の平岸側の終点。平岸小学校の校門近くにあります)

 歩くだけでも往復2時間弱はかかります。いまのような重機もない時代、ほぼ人力でこのアップダウンの激しい道路をつくるのは、おそろしく大変だったことでしょう。道路らしからぬその名前には、その当時の人々の強い願いと、それに、こころよく応える大らかさと力強さが込められていたのでした。
 北海道に限らず、不思議な名前がついた道路は各地にあることでしょう。それぞれに秘められた歴史や背景を訪ねてみたいものです。

 

あしたはきょうよりもっといい日。