「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★旧畑島竹次郎邸(厚真町にて移築保存)

旧畑島竹次郎邸(厚真町にて移築保存)

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(旧畑島竹次郎邸 越中地方の建築様式を色濃く残しています)

 
 厚真町には開拓農家が造った、北陸地方の伝統建築様式の特徴をのこす築100年以上の古民家が多くのこっています。多くの古民家が現存しているのは北海道内ではとても珍しく、太平洋に面した雪の少ない地域のため、家屋が傷みにくく、柱や茅葺(かやぶき)の材料となる木々も多く自生しているためではないかといわれています。

 厚真町の古民家のタイプとしてよくみられるのが、「越中造民家(富山県)」、「加賀型能登型民家(石川県)」、「越前型民家(福井県)」の3つのタイプです。特に、越中造民家の特徴的な家屋構造の「枠の内(わくのうち)」造りの古民家は10件以上確認され、2013年(平成25年)に移築再生した旧畑島邸も枠の内構造をもった広間があります。

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(「枠の内」構造。画像中央に見える太い梁が特徴的です)


 「枠の内」とは、富山県の砺波(となみ)、射水(いみず)地方に多くみられる民家の伝統的な構造で、太い大黒柱と大きな丸太梁を、金物を一切使用せずに組み上げた伝統的な建築方法です。富山地方には「住居は親子3代100年をかけて完成させるもの」という伝統的な考え方があり、この住居の本体部分の骨格を形成する「枠の内」は極めて頑強な造りとなっています。
 北海道開拓期、明治期から昭和初期にかけて、多くの移住者が入植しました。過去においては、日本各地の伝統的な様式の民家が多く点在していたと思われます。しかし、北海道特有の厳しい気候条件による建物の老朽化や戦後日本の高度成長などを背景に、これら古民家の多くが近代的な住宅への建替えのため解体・撤去されたことにより、現在道内には、一部地域にごく少数が確認されるのみとなっています。
 開拓者の労苦をともにし、かつての生活を今につたえる貴重な古民家が失われないよう、保存・再生し、有効活用を進めていくことが大切になっているのです。

 

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(旧畑島竹次郎邸の居間。修復されて当時の息づかいが蘇りました)


 畑島家は、明治32年(1899年)、現当主畑島武司氏の先々代に当たる畑島吉次郎氏が富山県砺波(となみ)郡砺波村安養寺(現在の小矢部市福士)より、空知郡栗沢村字幌タップ(現在の岩見沢栗沢町)に入植、翌33年(1900年)知人を頼り厚真村字番外地(現在の朝日地区)に再入植しました。

 明治43年(1910年)、先に入植していた福田林造氏の村外転出に伴い、家屋の譲渡を受け、現在の朝日地区の厚真川付近に移築、昭和5年(1930年)、先代の竹次郎氏が現在の居住地である字朝日225番地に再移築しました。なお、当時名人と謳われ町内で多くの建物を手掛けた大工の森井平造氏が建築に携わりました。

 

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(旧畑島邸座敷。厚真町の開拓の歴史をこれからも伝えてほしいと願います)


 昭和59年(1984年)、現当主の武司氏が旧畑島邸に隣接して住宅を新築し、それに伴い旧畑島邸は住宅としての役目を終えましたが、その後も大切に保存・管理され、平成25年(2013年)、町に対する寄附の申し出により、町では、平成26年(2014年)度に、ほぼ当時の姿のまま移築・再生工事を行いました。

 旧畑島邸は、平成26年(2014年)に、フォーラムビレッジに移築再生し、古民家の内部を一般公開しています。また、自家製酵母のパン屋「此方(こち)」も営業していますのでお気軽にお立ち寄りください。

 公開(営業)時間:午前10時~午後5時
 休館(定休)日:毎週火・水曜日

 

★「あつまんま」こちらもご覧ください

atsumamma.jp

 

羽深:第一に、北海道では寒さのために住宅の基礎部分が地盤面ごと凍って持ち上がってしまう「凍上」が起こるので、古い建物を維持することが難しいんですよ。それが厚真町は火山灰質の土壌で水はけが非常に良かったために、凍上が起こらなかったのが大きな理由の一つですね。他にも雪が少ない気候や、開拓の頃から米づくりや林業ができる豊かな土地だったこと、そして地主さんや土地の名士が民家を大切に残していたことなどがあげられます。

羽深:調査で築100年以上の古民家が9棟見つかり、北陸地方の4つの古民家の型があることがわかりました。越中型が6棟、越前型・加賀型能登型が各1棟です。旧畑島邸も含めて富山県越中型農家民家が多く、これらは「枠の内」と呼ばれる富山の伝統的な構法で建てられています。使われたのは樹齢100年以上の北海道産広葉樹で、とても立派ですよ。私は旧畑島邸の柱や梁を調べましたが、現代の基準以上の強度がありました。放置していたら朽ち果てていたかもしれない古民家が、移築再生でさらに100年、200年の命を得たわけです。
羽深:実は、厚真町にある枠の内構法で建てられた古民家は、富山にはもう残っていないんです。なぜなら富山では茅葺き屋根から瓦屋根に変わった明治期に、合わせて家の造りも変えているから。厚真町に残る民家と、富山に残る民家を比べると、民家建築の歴史がわかるんですよ。また、今まで北海道の建築の歴史は明治以降の洋風建築中心だったので、このような古民家があることはまだ知られていないし、研究もされていない。そういう意味で厚真町の民家は非常に価値があるんです。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、厚真町古民家再生プロジェクトさま(HP)よりお借りしました。

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