「観るだけ美術部」部長のブログ

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[特別展]★東京の木田金次郎展

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(「東京の木田金次郎」展)

★東京の木田金次郎展

 木田金次郎美術館、2019年7月4日(木)-11月4日(月・祝)

(WEBサイト→)

http://www.kidakinjiro.com/exhibition.html

 

 木田金次郎(1893-1962)の画業が広く知られることとなった出来事に、1959年(明治34年)に東京・日本橋高島屋で開催された「木田金次郎作品展」が挙げられます。日本を代表する百貨店を会場に、地方在住作家の個展が朝日新聞社主催で行われたのは極めて異例のことでしたが、木田を取り巻く人的ネットワークがこの機会を実現させ、有島武郎生れ出づる悩み』の主人公のモデルという一面を超えて、その画業が多くの市民の前に示されたことで、大きな反響を及ぼしました。今年は、この展覧会から60年を迎えます。
 木田と東京とのかかわりは、明治末期の青年期までさかのぼります。 1908年(明治41年)に東京・開成中学に進学した木田は、下宿先にほど近い上野の杜で開催されていた、西洋からの帰朝者たちによる絵画展に足を運び、西洋近代美術の息吹を直に感じ取っていました。その後、その中のひとり、有島生馬の兄である有島武郎と札幌で出会い、岩内で画家として生きる道を選んだ木田にとって、青年期に触れた西洋近代美術は、地方で描くことの意味を問い続ける要因であったでしょう。
 木田の作品は、東京にも数多く存在します。北海道や岩内ゆかりの方が、木田作品を所蔵していたからですが、作品を通じた人と人との縁が、木田作品をめぐる「物語」をかたちづくり、作家像の魅力にもなっています。
 今回の展覧会では、日本の中心である東京が、木田にとってどのような意味を持つのかを考える機会として、東京とかかわりのある作品を数多く集めてご紹介します。加えて、地方で制作することの意味を、開館から四半世紀、25周年を迎えた木田金次郎美術館がテーマに据えてお贈りいたします。
 昨年は約40年ぶりに、東京で展覧会が開催され、再び首都圏の方を刺激した木田金次郎。新しい時代を迎え、オリンピックを来年にひかえた今、東京と地方を考える機会となれば幸いです。

 

※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、木田金次郎美術館さま(HP)よりお借りしました。

 

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