★ハノイ (都市概観、歴史など)
ハノイは、ヴェトナム北部に位置する同国の首都です。地名の「河内(←漢字表記)」は、街が「紅河デルタ」地帯の内側にあることに由来するそうです。2008年(平成20年)の人口は、約620万人。「紅河」の右岸にあり、国内の工業の中心地で、農産物の集散地ともなっています。また、一柱寺など、史跡も市街各地に点在しており、南部のホーチミンなどよりも、観光客にとっては見どころの多い楽しい町です。
ハノイがヴェトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことです。唐代には、雲南と南シナ海を結ぶ交易路上にあったこともあり、「安南都護府」がおかれ、唐朝による南方支配の拠点となりました。しかし、唐代末期になると、「安南都護府」の支配は形骸化し、さらに紅河が当時の海上交易網から外れていったため、その重要性は一時低下しました。
しかし、11世紀の李朝は、この地を都と定め、農業地帯を統治する拠点とします。李朝の成立以降、1802年に阮朝がフエに都を移すまで、王都として繁栄を遂げました。その間は「昇竜(タンロン)」、「東京(トンキン)」など、さまざまな名で呼ばれてきましたが、1831年に現在の名称になりました。
1873年にはフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地となりました。1940年(昭和15年)、日本軍の仏印進駐により、日本の事実上の占領下となりますが、1945年(昭和20年)にその占領状態は終了し、9月2日にハノイで「ヴェトナム民主共和国(北ヴェトナム)」の独立が宣言されます。
その後、1946年(昭和21年)から1954年(昭和29年)の「第一次インドシナ戦争」においては、ハノイも戦場となり、一時フランス軍が占領しました。しかし、ヴェトナム側が戦争に勝利したことにより、ハノイは「ヴェトナム民主共和国」の首都となりました。
近年、ハノイ市街南西部にオフィスビル・高層住宅が建ち始めたほか、市街北部に工業団地が整備されたこともあり、従来の古都とは異なる新しい街ができ始めています。それにより、市民の流れや、町の雰囲気も変わりつつあるように感じられます。