★アンコール・ワット.2(構造編)
主に砂岩とラテライトで築かれ、西側が正面とされています。寺院は、付近の製鉄技術を活用している点が興味深いです。境内は、環濠部分を含めて東西1,500m、南北1,300m。幅200mの濠で囲まれています。神聖な場所を飾るため、回廊は精緻な浮き彫りで埋め尽くされています。
(アンコール・ワットの西側から、正門を目指す)
西からの参道(正面参道)は、石橋で環濠を渡って進みます。石橋は、かつて乳海攪拌の様子を描いた蛇神ナーガの欄干で縁取られていたと伝えられていますが、現在は、堀に落ちており見られません。中ほどには、石段の船着場が備えられています。橋を渡り終えると、周壁と西大門へ至ることになります。
(西大門(正門に当たる)は、堂々とした建築物)
正門の左右には、七つの頭を持つ蛇神ナーガの彫刻が施されており、付近の堀には、石造りの船着場を備え、ラテライトの壁で補強されています。
(西大門(正門)から入場したあと、参道から振り返ってみる)
正門(西大門)を抜けると、大蛇の欄干に縁取られた参道を通り、前庭を進みます。前庭は、南北にそれぞれ経蔵と聖池があります。また北側には、現在もここで修行に励む僧侶らのために、僧坊が近年になって建てられました。前庭を越えると、三重の回廊に囲まれ、五つの祠堂がそびえています。
(第一回廊 西側南翼 見事な彫刻が残っている)
第一回廊は東西200m、南北180mで、多くの彫刻が施されています。アンコール・ワットで見られる見事な彫刻は、ほとんどがこの部分にあります。
(『ラーマ・ヤーナ』の一場面が彫られている)
西面北(左)側には、『ラーマーヤナ』の説話が幾つかあり、特にラーマ王子と、猿が、ランカー島で魔王ラーヴァナと戦う場面が大きく描かれています。ここの王子の顔は、建立者のスーリヤヴァルマン2世を模しているという説もあります。
(こちらは、『マハーバーラダ』の一場面)
南面西(手前)側は「歴史回廊」と呼ばれ、行幸するスーリヤヴァルマン2世と、それに従う王師、大臣、将軍、兵士などが彫られています。
(これは、『天国と地獄』の一場面だそう)
南面東(奥)側は「天国と地獄」と呼ばれ、上段に天国へ昇った人々、中段に閻魔大王らとその裁きを待つ人々、下段に地獄へ落ちた人々が彫られています。地獄では、痛々しい刑が行われており、また下段から中段に逃れようとする罪人も見られます。
東面北(奥)側と北面全面は、後の16世紀頃に、アンチェン1世が彫らせたと考えられており、他とは彫刻の質が異なっています。ヴィシュヌ神の化身クリシュナが、怪物バーナと戦う場面が描かれています。
(第二回廊から見上げる。見えている尖塔は中央祠堂)
第一回廊と第二回廊の間は、「プリヤポアン(千体仏の回廊)」と呼ばれ、南北に経蔵が建ち、十字回廊で繋がっています。十字回廊は、四つの中庭を囲んでおり、かつて中庭は雨水を湛え、参拝者はそこで身を清めたと言います。南側には、「森本右近太夫一房」の墨書が見られ、「ここに仏四体を奉るものなり」と書かれています。「プリヤポアン」には、信者から寄進された多くの仏像が供えられていたそうですが、クメール・ルージュにより破壊され尽くされており、現在は芝が生い茂っているのみとなっています。
(第二回廊から見上げた精巧な造りの連子窓)
第二回廊は、東西115m、南北100mで、17段の石段を登って入ります。彫刻などは無く、何体かの仏像が祀られています。そこを抜けると、石畳の中庭に入り、第三回廊と、祇堂を見上げることになります。
(疲れた脚にはきつい第三回廊への急傾斜な階段)
第三回廊は、一辺60mで第二回廊より13m高く、急勾配の石段を登って入ります。第三回廊への13mの石段は、非常に急傾斜です。登ることを諦め、ただ第三回廊を見上げ続ける人々も多く見られます。四隅と中央には、須弥山を模した祠堂がそびえ、本堂となる中央の祇堂は、65mの高さがあります。かつて、本堂には「ヴィシュヌ神」が祀られていたと言われていますが、現在は壁で埋められ、四体の仏像が祀られているのみです。第三回廊に囲まれた四つの中庭は、かつては雨水を湛えていたらしいのですが、現在は涸れています。壁面には、王宮の舞姫を模したという多くの女神が彫られ、参拝者の触れた痕が見られます。連子窓から外を見ると、周囲の伽藍とカンボジアの森林が一望できます。
(第三回廊の連子窓から見たカンボジアの平原。
夕暮れ時には、この連子窓から差し込む光が、美しい光景を演出してくれるそうだ)
アンコール・ワットは、シェムリアップ市の中心部から北に6.5kmほど離れており、公共交通機関はありません。アンコール遺跡全体が、広い範囲に点在していることもあって、タクシー、三輪タクシー、バイクタクシーなどをチャーターするか、レンタサイクルを利用するのが一般的です。