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[建築物]★旧札幌農学校 種牛舎(牝牛舎)特別公開

★旧札幌農学校 種牛舎(牝牛舎)特別公開
 北海道大学第二農場、2010年10月16日(土)-11月1日(月)
 なお、模範家畜房と穀物庫の内部特別公開は、2010年4月29日(木・祝)-11月3日(水・祝)
 
 1876年(明治9年)に開校した札幌農学校(現北海道大学)は、W.S.クラークの指導によって、開校とほぼ同時に広大な農場を開き、北海道への移住者に未経験の近代的な大規模有畜農業を採り入れる拠点を作りました。 このクラーク構想は、マサチューセッツ農科大学での教え子であるW.P.ブルックスらに引き継がれ、北海道開拓に適する作物や農機具の輸入と選定、栽培や経営法の指導を行って北海道農法の構築に貢献しました。ここ札幌農学校第二農場は、1877年(明治10年)に建設されたW.ホイラー設計の模範家畜房、W.P.ブルックスが設計した穀物庫を中心とした、一連の畜産経営の施設を備えて、一軒の畜産農家を模した実績・模範農場として発足しています。
 それらの農場施設はバルーン・フレーム(風船構造)と言われる建築様式で、当時のアメリカの中西部の開拓地に広まった軽木骨造りの実用的な建物です。特に、模範家畜房は、1階が家畜舎、広々した2階は干草置場となっており、北海道の風土にあった酪農業を進めるためのモデルでもありました。また、1912年(大正元年)に建設された緑飼貯蔵庫は、道内最古のサイロと伝えられ、他の施設とともに、当時の酪農経営の形態を知る上で大変貴重な建築物となっています。
 
 今回、内部が特別公開される種牛(牝牛)舎は、1909年(明治42)年に海外から伝わった最新技術で新築され、1977年(昭和52年)に修復されたものです。南北19間の8基の換気筒付き切り妻造りで、東西面に出入りの突出部があります。屋根裏は、資料置き場で、中央に柱のない洋小屋構造。搬送用ハンガーリフトの木製レールがあったようです。サイロ(緑飼貯蔵庫)は、内径約5mで札幌軟石、ムロ(根菜貯蔵庫)はレンガ造り。またこのサイロは、岩手県小岩井農場(日本初)」の次に出来たらしいです。
 サイロ、マンサート型畜舎など、新しい酪農形態が伝わり、そのモデル搾乳牛舎として造られ、1階には繋留方式を比較するため、床面の高さが異なる牛床が2組設置されました。
 
北海道大学附属博物館HP
 
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