「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[講演会]★臼井寛「北海道の砂糖のはなし」

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(画像は、旧紋鼈製糖所製糖機械)

★臼井寛「北海道の砂糖のはなし」(元北海道糖業株式会社)
 北海道立開拓記念館、2010年7月3日(土)13:30
 
 国内で作られる砂糖の約8割がテンサイ糖。その原料となる甜菜(ビート)は、北海道だけで栽培されています。意外と知られていない北海道の砂糖作りの歴史がお話しされます。
 
★北海道立開拓記念館、講演会「北海道の砂糖のはなし」
http://www.hmh.pref.hokkaido.jp/
★甜菜(ビート)栽培の歴史HP
http://pucchi.net/hokkaido/foods/tensai.php

 現在、日本甜菜製糖、北海道糖業、ホクレンの3社8工場で日本一の生産量を誇る、日本の甜菜業は、明治3年東京に官営で始まり、同年北海道紋鼈(現伊達市)に製糖所が設立された。3階建ての大きな工場でしたが、機械はフランス式で技術が悪く、1896年解散、機械は台湾製糖に譲られました。1921年、日甜、北海道糖業で生産再開、戦後合理化し、北海道寡占となりました。北海道糖業道南製糖所入口に、台湾返還の日本最古機械(三重蒸発効用缶、結晶缶)が残っています(画像で紹介している機械がこれに当たる)。

★北海道文化資源データバンク「旧紋鼈製糖所製糖機械」HP
http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-bsbsk/bunkashigen/parts/1000012.html

 1879年に現在の伊達市(旧西紋鼈村)に官営甜菜製糖所を建設・操業、1887年に紋鼈製糖株式会社設立し払い下げした後、1896年廃止。一方、1888年に現在の札幌市(旧苗穂村)に同じく製糖工場(札幌製糖株式会社)が建設・操業を始め、以上道内2工場が稼動することになりました。台湾製糖の影響により、1901年に両社とも廃止されました。
 道内でのビート製糖は、一時中断されましたが、松方正義氏の息子正熊氏により、1919年6月11日に復活します。帯広に北海道製糖の工場が設立され、後に「日本甜菜製糖」となりました。1921年にはビートを輸送するために鉄道も敷設され、一時は道内最大の私鉄となりました(十勝鉄道株式会社)。
 1968年2月5日には、大日本製糖株式会社などを統合して「北海道糖業」 を設立しました。こちらも専用鉄道が北見の上常呂駅、本別の勇足駅に敷設されていました。国内ではほかにホクレンでも生産しており、ビート製糖産業はこの3社が占めています。
 本社が東京にある会社もありますが、工場は十勝や北見、士別、伊達など道内にあります。日本甜菜製糖は東京都を本社に、製糖工場は十勝管内芽室町、網走管内美幌町士別市にあります。北海道糖業は北見市伊達市十勝管内本別町に工場があります。ホクレン農協は網走管内斜里町に中斜里製糖工場、十勝管内清水町に清水製糖工場を持っており、3社で8工場あることになります。
あしたはきょうよりもっといい日。