「観るだけ美術部」部長のブログ

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[鉄道遺産]★稚内港北防波堤ドーム(鉄道遺産12)

稚内港 北防波堤ドーム(鉄道遺産13)

稚内港の防波堤としての役割、および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するため、1937年(昭和12年)に完成しました。北防波堤そのものは、1920年(大正9年)樺太航路の発着場として着工されています。

 防波堤の外観としては、異色となるドーム状の形態を取っていることから命名されたと言われています。70本の柱が立ち並んでいます。長さ424mにわたって続く、古代ギリシア建築を彷彿とさせる放射線形ヴォールト(アーチ状の曲面天井)が生み出すエンタシス状の柱列群は、斬新な印象。トスカナ式オーダー(古代ローマの神殿建築に用いられた様式のひとつ)に似た列柱と、リブ(ヴォールト補強のための肋骨状部材)が、幾何学的な簡素さを強調し、迫力を増しています。近年、数度の改築、補修工事を受けています。

 設計者は土谷実。当時の彼は北海道大学を卒業して3年の26歳で、稚内築港事務所に赴任してきた北海道庁の技師でした。北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)の桟橋など、港湾施設の保護、および、桟橋を利用する乗客の便宜のために造られたようです。建設後、稚内駅からドームの手前まで国鉄の線路を延長し、同駅の構内仮乗降場扱いで「稚内桟橋駅」が開設され、乗客はドーム内を歩いて桟橋に待つ連絡船に乗り込んだと言います。そう言った意味では、立派な「鉄道遺産」と言えるでしょう。

 その後、第2次世界大戦を経て、終戦を迎えたことから、稚泊連絡船は消滅し、これとともに稚内駅から桟橋駅に続く線路も消滅したのですが、防波堤としての機能は維持されており、線路の消失以後も、礼文島利尻島への航路など多くの船が発着する稚内港を守り続けています。

 現在は北海道遺産のひとつとして指定されており、周辺は整備され公園となっています。テレビドラマや、CMなどのロケ地としても知られるほか、さまざまなイベントに用いられています。北海道遺産。
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