「観るだけ美術部」部長のブログ

「観るだけ美術部」勝手に部長です。入部希望者は、コメント欄にメッセージを残してください。折り返し、勧誘に伺います(笑)。

あしたはきょうより、きっといい日。

[絵画展]★英国ピーターラビットと、ビアトリクス・ポター展

イメージ 1

★英国ピーターラビットと、ビアトリクス・ポター
 北海道立旭川美術館、2010年4月23日(金)-2010年5月23日(日)

 ビアトリクス・ポターは、子どもの頃から、絵を描くのが大好きな少女でした。イギリス湖水地方で、家族と過ごす休日には、風景画にも挑戦しました。一家は、画家のミレーと親交がありましたので、ビアトリクス・ポターは彼の影響で絵画の世界に入り、王立美術院へ通って、彼女らしさを決定づける絵画技術を養いました。ビアトリクス・ポターは、ゲーンズボロー、レイノルズ、ラファエロティツィアーノなどの作品が好きで、日記には、展覧会を訪れた時のことが詳しく記されています。
 1890年代に入ると、ビアトリクス・ポターは、博物学、特にキノコの研究に熱中しはじめます。それと同時に小冊子やカード類、アルバムなどにさし絵を描くことで、ささやかな収入も得るようになりました。ビアトリクスは生涯を通して、できるだけ正確に自然を写実することを主義としていました。

 ビアトリクス・ポターといえば、すぐに有名な動物たちのキャラクターのさし絵を思い起こしますが、あとに残されたスケッチや絵画を見ると、動物から風景、花や化石まで、実にバラエティに富んだものが描かれていることに驚かされます。ビアトリクス・ポターは、人と接するときには、恥ずかしがりやで、内気な性格でしたが、独自の暗号で書かれた秘密の日記を見ると、当時の芸術家についてかなり批評的な意見を持つ社交好きな女性であったことがわかります。ビアトリクス・ポターのフィアンセで、出版者だったノーマン・ウォーンの悲劇的な死後、ビアトリクス・ポターは未婚のままでいましたが、47歳のとき、湖水地方の不動産アドバイザーのウィリアム・ヒーリスと結婚しました。ビアトリクス・ポターは、晩年、湖水地方の自然環境と自然美の保護に専念しました。ナショナルトラストとともに活動したビアトリクス・ポターは、自分の土地の大部分を、生きる風景画として保存されるように、ナショナルトラストに残したそうです。

 本展覧会は、そんなビアトリクス・ポターの生涯をたどりながら、名作『ピーターラビット』の誕生秘話、また美しいイギリスの湖水地方で育まれた独自の世界観についても紹介されます。

★北海道立旭川美術館「ビアトリクス・ポター展」HP
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.jp/hk-asamu/

ビアトリクス・ポターウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%BC
あしたはきょうよりもっといい日。