「観るだけ美術部」部長のブログ

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[旅行案内]★松前城、松前城資料館

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松前城松前城資料館
 松前家の初代藩主・松前慶広が、この地に築城したのは、1606年(慶長11年)のことです。
その後の火災や、修築などを経て、17世藩主・松前崇広は、1849年(嘉永2年)外国船の出没に備え、津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になりました。
 設計は、当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学に一任しました。市川は、海防上の理由から、福山の地は不利であり、箱館後方の庄司山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず、結局、福山館を拡大して築城することになりました。5年の歳月をかけ、1854年(安政元年)に完成した松前福山城は、旧式築城では日本最後のものとなりました。完成した新城は、面積約7万7800平方メートルで、本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門16、砲台7座を備えていました。
 1941年(昭和16年)に国宝に指定された天守閣をはじめとする城郭は、戊辰の役や、開拓使の取り壊し、太平洋戦争にもかろうじて残ったのですが、1949年(昭和24年)松前町役場から出火した飛び火により、焼失してしまいます。
 現在の天守閣は、町民の切なる願いと、全国からの善意により、1961年(昭和36年)に再建されたもので、2011年には築城されて50周年を迎えます。

★「観るだけ美術部員」のつぶやき
 登録文化財への登録は、築50年以上が経過しており、かつ再び造るのが難しい建築物、とされています。松前城は、再建された城址とは言え、50年を経過していることから、この復活城砦じたいが登録文化財の候補となるでしょう。

★「観るだけ美術部員」のブログ、「松前(城)公園」(名桜探訪)の記事へのリンク
http://blogs.yahoo.co.jp/openuniversity2010/12494159.html

※なお、このページに掲載した画像は、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
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