「観るだけ美術部」部長のブログ

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[演奏会]★Kitaraに観る「札幌の面影」

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(画像は、Kitaraの大ホールのバルコニー。豊平館のバルコニーのイメージを引用しています)

★Kitaraに観る「札幌の面影」
 札幌コンサートホールKitaraの建物を観ることも、音楽を聴くこと同様に楽しい。この建物の随所に、札幌の建築の歴史の中から「引用」した意匠が見られるのです。
 Kitaraの建物全体を構想、設計した札幌在住の建築家、宮部光幸さんはKitaraは、建築のコラージュなのです」と言います。引用の元となるのは、1920~30年代の札幌の建築。日本の近代化の歴史の中で、さまざまな試みが実験的に行われた街が札幌でした。過去の伝統にとらわれず、積極的に異文化を受け入れた風土が、そこにあったのです。

 当時、札幌の中心市街地の中に、多様な建築要素がひしめきあっていました。それが「札幌らしさ」であったろうと思います、だから「Kitaraを単一の建築様式で表現するには、物足りないものを感じていた」と宮部さんは言います。
 また、洋館が続々札幌に建てられたこの時期は、まさに札幌に西洋音楽が紹介された時期とも重なります。札幌の建築史に名を残す建築家で、バイオリニストの田上義也が札幌にやってきたのも、この時代。田上のバイオリンに感化され、札幌市民交響楽団(札幌交響楽団の前身)の初代常任指揮者となる荒谷正雄が音楽の勉強のため渡欧したのもこの時期でした。音楽と建築は、不思議に関わり合っていたのです。

 残念ながら、中心部に集積していた見事な建築物の多くは、取り壊され、その姿を消してしまいました。「忘れ形見として、Kitaraにそのイコンを埋め込みたかった。札幌の原型を形作った街の雰囲気を出したかった」と、宮部さんは言います。

 例えば、大理石の縁取りがある細長い窓は、旧丸井今井百貨店本店の窓からの引用。1階ホワイエの太い柱は、当時流行していた「ネオクラシズム」を模しています。1階バルコニーは、すぐ近くにある豊平館のバルコニーの形をなぞっている、といった具合。
 それは、効率、ローコストを追い求めた近代建築へのアンチテーゼでもあり、いわば「無駄」を大切にする人間の心情にもつながります。音楽を聴くという、経済効率とは関係のない空間が、そんな遊び心の建築で作られているというのは、なんとも心地よいです。
 外側の造作だけではありません。設計にあたり、宮部さんは世界で評価されている音楽ホール22ヶ所を見てまわったそうです。そこから得た経験は、世界でも珍しいとされる、天井からつるされた音響反射板や、百年の使用にも耐えられるコンクリート製の天井に結実されました。

★「ようこそさっぽろ」HP「札幌の歴史が隠れる、Kitaraの建築」
http://www.welcome.city.sapporo.jp/feature/04_09/kitara3.html
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