「観るだけ美術部」部長のブログ

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[建築物]★松前法幢寺 山門・松前家御霊屋

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(画像は、松前法幢寺四天王門(山門))

松前法幢寺
 曹洞宗の寺院。松前家の菩提寺(ぼだいじ)で、裏手には松前藩松前墓所があります。法幢寺の寺号公称は1628年(寛永6年)。1633年(寛永10年)大本山総持寺から触頭を任命され、明治以降も北海道本宗寺院宗制管理、つまり曹洞宗諸寺院の総元締めの地位にありました。
 1868年(明治元年戊辰戦争で伽藍が全て灰燼に帰したため、現存する近世の遺構としては、四天王門(1838年、天保9年)と、松前家の御霊屋(建築年不明)が残るのみです。本堂は、1881年(明治14年)建築。間口8.5間、入母屋造り、正面に幅2.5間の向拝が観られます。四天王門(山門)は、正面桁行き4.5間、奥行き2.5間、入母屋造りの八脚門で、奥通り左右の脇間に四天王像が安置されています。
 御霊屋は、松前歴代藩主の位牌堂のことです。寺伝では松前家2世光廣の創設と伝えています。法憧寺山門を入り、本堂に向かって左手にあり、土蔵造り、向唐門玄関付となっています。現在の建物は、1834年(天保5年)の再建で、以後1872年(明治5年)、1955年(昭和30年)、2001年(平成3年)の修理を経ています。内部は、内陣位牌壇と畳敷拝殿に二分されており、武田信廣より18世松前徳廣まで、松前家一族の位牌が安置されています。内陣格天井には、格調高い極彩色花鳥の画が掲げられています。
 かつて、藩主を諌(いさ)めたために、流刑となり、のちに斬首された門昌庵(もんしょうあん)事件の柏巌(はくがん)和尚は、この寺の住職でした。

 松前藩松前墓所は、松前藩の始祖である武田信広から、19代にわたる歴代藩主とその妻子などの人たちが埋葬されている墓所で、イチョウやオンコの古木にかこまれて、55基の墓碑が並んでいます。墓碑は五輪塔形式で、石造りの屋形風覆屋に収められているものが多く、なかにはキリシタン信仰と関係があるとされる織部灯籠や十字型H字が刻まれた墓も見られます。

※なお、このページに掲載した画像は、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
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