「観るだけ美術部」部長のブログ

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あしたはきょうより、きっといい日。

[建築物]★松前阿吽寺 山門・不動像

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(画像は、松前阿吽寺の山門)
 北海道は、まだまだ冬の真っ最中です。それでも、気持ちは、春が近づいて欲しいと思っています。北海道でのサクラの開花はGWごろ。まだ2ヶ月もさきの話ですが、ちょっとずつ、北海道のサクラの名所を案内しながら、気分だけでも春を感じていきたいと思っています。
 わたしは、サクラの名所では、ただ単にサクラが咲いているのが綺麗というよりは、そこに息づく歴史なり、伝説なりが、あったほうが好きです。古城や城跡、歴史的な遺構、そういうものと合わせてお話できればと思っています。

松前阿吽寺
 真言宗の寺院。真言密教の奥義「阿吽の呼吸」から付された寺名です。1443年(嘉吉3年)津軽に居住した蝦夷管領安東盛季が南部氏との戦いに破れた際、寺号を携われ、松前に再興。大館下にさらに再興したのは、1510年(永正10年)と言われています。
 松前福山館の鬼門を守るため、1617年(元和3年ころ)現地に移りました。この寺院は、松前家の祈願所として、他の真言寺院の総元締めでもありました。1868年(明治元年)の御用火事に伽藍を焼失したのですが、内陣は土蔵造りであったので免れ、奇跡的に残った宝物も多くあります。本尊不動明王は、松前町指定有形文化財となっています。軀高は1.2m、桧木一本一部寄木造り。躰体に見られる切金細工は見事です。平安後期の作で、仏教美術史のうえで貴重な作品とされています。

 また、ここの山門(正門)は、かつての松前城の堀上門を移築したものです。1873年(明治6年)北海道開拓使は新政府の方針として、福山城の取毀しと建物を役所や官庁へ転用することを命じました。翌年、堀上番所が福山電信局へ、搦手門は法華寺、堀上門は阿吽寺へと寄贈されています。原状のまま残された三重櫓(天守)、本丸御門、本丸表御殿と前記のほかは、解体され競売に付されたのです。阿吽寺の本堂以下諸堂(内陣のみ残る)は、1868年(明治元年)の戊辰戦争で灰燼に帰していたため、堀上門が、同寺の山門として移設されたのです。
 この山門は、三間一戸薬医(やくい)門、腕木一重(うできひとえ)、一軒疎垂木(ひとのきまばら)、切妻造り。現在ある福山城松前城)の建造物は、本丸御門、本丸表御殿玄関のほかは既になく、同寺山門は昔日の城郭の面影を残す貴重なもののひとつです。

★「観るだけ美術部員」のつぶやき
 サクラの季節に、ここのお寺にお邪魔したことがあります。息子が「天地人」のファンで、不動明王を観てみたいとせがまれたからです。サクラの樹木が多くないからか、境内にはそれほど多くの観光客は居ませんでした。真言宗のお寺の、厳格な雰囲気が漂い、そこだけが別世界のような荘厳さだったのを覚えています。

★「北海道松前藩観光奉行」HP
http://www.asobube.com/database.cgi?dbnum=61&dbkonum=0

※なお、このページに掲載した画像は、ブログ運営者がみずから撮影したものです。
あしたはきょうよりもっといい日。